04.春風







>>Fecklessness


暖かな日差しに呼び起こされた若葉が、公園を一面に覆い始めました。

春の鳥たちは青空のもとで、一斉に命を謳歌します。

小さな花は懸命に可憐な花弁を開き、そこらじゅうで虫たちを誘おうと甘い芳香
を放っていました。

薄紅色のハルジオンに止まった蝶を捕まえた、数人の幼い子どもたちから歓声が
あがりました。

美しい光に満たされた、輝かしい春の陽気です。

しかし彼の足元には、沈んだ瞳でそれらを見つめる少女が、幹にもたれて座って
いました。

俯きっぱなしの少女へ、彼はしなやかに枝葉を揺すってそよ風を送りました。

花壇の花々をくすぐった風は、芳しい薫りを乗せて少女の頬を柔らかく撫でまし
た。

少女がはっと顔を上げます。

青々とした木の葉が数枚、ひらひらと少女の頭に舞い降りました。

けれども変化はそれだけで、後は先ほどと同じように、彼は変わらず静かに少女
の後ろで佇んでいました。

少女は消沈し、上げた視線はまた見る対象物を失ったように宙をさまよい出しま
した。

彼はあの日から少女の前に姿を現しません。

それでも彼による声も姿もない慰めにほんの少しの期待を捨て切れず、毎日を彼
の元で過ごす。

二人の間でそんな日々がしばらく続いていました。



**



彼はずっと考えていました。

自分がいなくなったら、彼女が悲しむのは目に見えています。

しかし、それが彼女が強く成長するための糧となるのなら、悪くないと思ってい
ました。

今も、生気をなくした彼女を元気づけたくて、風を送りました。

(結局、僕も彼女に依存しているのかな)

勝手なことをしておきながら、本当は悲しませたくない。

笑っていてほしい。

『……これもエゴか』

ぽろりとこぼれ落ちた独り言は、幸い少女には気付かれませんでした。

街の時計台からの正午を知らせる鐘の音が、公園ののどかな空気を微かに震わせ
ます。

少女がゆるゆると立ち上がりました。

去っていく小さくて寂しげな背中を、彼は静かに見送りました。





少女と入れ違いに入ってきた見慣れない人間たちが、彼の注意を妙に引きつけま
した。

公園という場所にはまったく似合わない、立派な服装をした男性が複数、何かを
話し合いながら石の階段を登ってきます。

日頃あまり見掛けない質の人間なのに、彼は大人たちに奇妙な既視感を覚えまし
た。

大人たちの囁きが、彼の耳に届きます。

「…の、保護する手続きが……」

抑揚のない低い声は重なりあい、不吉な響きをもって聞こえました。

「まずは様子を見ないと」

「…は我々が……」

「……輸送の請負は当社で…」

不思議な言葉が次々に飛び交い、理解が追いつかない彼は軽く頭を振りました。

しばらくもしないうちに理解することを諦めた彼は、彼らの会話から意識を逸ら
そうとして、



「…やはりあの樹は近いうちに"移植"しなければならないだろうな」

「貴重な樹だ。枯らすわけにはいかんだろう」



既視感の正体に気がつきました。

それは同時に、鮮やかな緑に満ちた昔の森と仲間たちの記憶を喚起させました。

切り倒される樹、樹、樹。

それを止めさせようと泣き叫ぶ村人。

むせ返るような緑の匂いは、きっと仲間たちの身体を確かに流れていた命の匂い。



彼の顔からすっと表情が抜け落ちました。



身体の内側で響く生命の脈動が、耳元で一際大きく波打った気がしました。

ぶるぶると両の腕が細かに震えだします。

彼の変調に関わらず、会話はどんどん進んでいました。

彼らの話す内容に理解が追いつくにつれ、彼は聴覚を遮断したくなる衝動と闘い
ながら息を詰めました。




大人たちは彼の樹の前に立つと、幹を叩いたり葉を集めたり枝を手折ったりした
あとに、何かをノートへ書き付けました。

彼はまったく上の空でそれを見つめていました。

『ここから移される…?僕が?』

あまりにも無力な自分自身に対して、空虚な笑い声が漏れました。

次々と切り倒され、積み重ねられ、仲間たちがどこか遠いところに運ばれて行く
のを、何もできずに一人で見ていた時と同じ。

風に翻弄された木の葉たちが耳障りな音をたてています。

思考が完全に止まっていて、ぼんやり座ったまま気がつくと、母子も大人たちも
とっくに樹の前から立ち去っていました。

彼の心境を映しているのか、風はさらに不規則に乱れていきます。

誰もいなくなった公園で、彼の樹は無力と孤独を嘆くように風に身をよじらせます。

遠くから、眼下に見覚えのある姿が石段を登ってくるのが見えました。

赤毛の少年はどこか思いつめた顔で足早にこちらへ向かってきます。

『冗談じゃない』

脳裏に描いた金髪の少女は、いくら幸せを願っていても傷つけたあの日からずっ
と泣き顔のままです。

彼は膝を抱き寄せて、ぎゅっと押しつけるように顔をうずめました。

『…最期まであの娘を見守ることさえさせてくれないってわけかい?』

風が彼の耳元でひゅうと苦しげに啼きました。



**



木の葉が一斉に鈴を鳴らしたようにざわついています。

赤毛の少年は険しい瞳で樹を見つめていました。

乱れる風の中、煽られてくしゃくしゃになった髪にも頓着せずに、ずっと見つめ
ていました。

「…いるんだろ?」

少年は自分が何に語りかけているか、わかっているようでした。

樹は気まぐれな風にゆらゆらと枝葉を揺らしています。

しかし、しばらくして少年がちっとも諦めるつもりがないことに気付くと、一旦
動きを止めました。

強風にいい加減うんざりしていた少年は、風が緩んだことに一瞬安堵の表情を見
せます。

その直後に、樹は大きく枝を振り下ろしました。

前触れなしに吹いた突風に反応が遅れた少年は、煽られて二、三歩と後退し、勢
いよく尻餅をつきました。

枝が威嚇するように唸り声を上げます。

少年は目を固く瞑ってとっさに顔を庇いました。

ばさばさっと短い上着が風と小枝と巻き上がった砂埃を受け止めて激しくはため
きました。

そして始まったときと同じように突風は突然ぱたりと止みました。

少年が恐る恐る顔を上げます。

古風な白い衣装をまとった華奢な身体に、肩口で揺れる鮮やかな緑の髪が、眼前
に映りました。

白い服の少年は、灰色の瞳で静かに赤毛の少年を見つめました。


少年は弾かれたように立ち上がりました。

「あんたは、誰」

敵意をこめて睨み付けたつもりなのに、視線の先にある眼差しの深さに少年は僅
かにたじろぎました。

『……僕は、誰でもない』

思わず一歩退いたところで、少年は彼と自分との微かな差異に気付きました。

目を丸くして、彼の身体を凝視します。

薄い色彩に淡くたたずむ半透明の彼は、黙って少年の表情の変化を見つめていま
した。

「?…あんた、身体が」

彼は、ふいに少年から目を逸らしてくるりと背を向けました。

『ずっと昔からこの地に根付く、この樹が僕さ』

彼が向いた方向にあるものに、少年も自然と目を移します。

赤毛の少年は警戒を解かず、訝しげに半透明な白い服の少年を睨みつけました。

彼の姿を通して見える緑の樹が、今は落ち着いた風に静かに身を委ねていました。

「精霊?まさかそんなもの、」

『信じてない?じゃあ君の目の前にいる僕は何なんだろうね』

言葉を奪われた少年の頬にさっと赤みがさしました。

彼はどこか諦観に似た笑みを浮かべてそれを一瞥し、そっけなく問います。

『僕に何の用?それに、何故僕のことを知っていたの?』

少年は答えに窮したように唇を噛んで俯きました。

ちらりと彼の方を伺うと、彼は促すようにじっと見つめています。

「……前に」

少年は呟きました。

「…あんたがあいつの側にいるのを見たことがある」

"あいつ"が誰を指すのかを知っている彼は、少し困ったように笑いました。

『この街で僕のことを知っている人間はあの娘だけなんだ。…君は自分の見た物
を幻とは疑わなかったの?』

「自信はあんまりなかったけど」

少年はしばらく何かをためらっていましたが、意を決したように顔をあげました。


「あいつはあまり人と関わりを持とうとしない。だから、あいつが落ち込むよう
なことは、他に考えられなかったんだ」


自分を見据える灰色の瞳をしっかりと見返しました。

「最近、あいつと何かあったのか?」




彼は表情を変えずにしばらく沈黙しました。

『…君には関係ないことだよ。僕が言う必要はない』

僅かに動揺したのを悟られないよう、平坦な口調で。

『そんなことを聞きに、会えるかもわからない僕に会いに来たのかい?』

「っ、関係なくなんかない!」

少年は、かっとなって言い返しました。

しかし彼が物いいたげに少年を見つめると、悔しそうに口を噤みました。

『あいにく、つまらない嫉妬に付き合っていられるほど暇じゃなくてね』

少年の頬が怒りで紅潮しました。

が、彼はやはりそれも一瞥しただけで、事も無げに話を進めます。

『他に聞きたいことは?』

少年は、涼やかな表情を崩さない彼を力一杯睨みつけました。

「…あいつはあんたのことが好きなんだろう?」

『僕は、人間じゃないよ』

彼は力なく答えました。

『あの娘に家族がいないのは知っているよね。だから僕がずっと保護者がわりみ
たいなものだったんだ』

淡々と語る口調は、少年に言い聞かせるという意味よりも昔語りに似ていました。

『あの娘は僕を身内として慕っているだけだ。だから君が思っているようなこと
はないよ』

達観した物言いに、少年の中で反発心が首をもたげました。

少年は、精一杯皮肉げに聞こえるように言い返しました。

「あんた自身は、どう思ってんだよ」

『……用っていうのはそれだけ?』

彼の顔が瞬時に曇りました。

『ならもう帰りな』

彼は右手を胸の高さに突き出しました。

ふわりと空気が動く気配がして、彼の身体が持ち上がりました。

少年は険しい顔で彼を睨みつけたまま、何かを堪えるように拳を握り締めました。

「逃げるのか!?」

『君が僕に会ったってことは、あの娘には黙っていたほうが良い』

問いとはやや外れた返事を少年に返し、彼は自分の樹の元に軽やかに舞い降りま
した。

「答えろよ!」

少年は彼に追いすがるように樹に走り寄りました。

風がまた、荒れ始めました。

『ああ、あとね』

彼は少年から視線を外しました。

『君には言っておくべきだと思ったから言うけれどね』

遠くを眺め、囁くように語る彼の周りに、金色の粒子が漂います。

目の前の不可思議な現象に、少年は大きく目を見開きました。

薄く発光しだした幹から慌てて手を離します。

『これから起こる事は、全て僕とあの娘の問題だ。だから、君は関わらないで欲
しい』

「…何が言いたいんだ?」

『僕に会ったことは言わずに、黙ってあの娘の側にいてあげて』

粒子はホタルのように幻想的な光を放ちながら、ゆっくりと渦を描きます。

直感的に、少年はこの後何が起こるかを悟りました。

『…それが君にできる最善だよ』

「ちょ…、待て!」

言い終えるが早いか、金粉は彼の身体を覆って分解し出しました。

掻き消えるように徐々に薄れていく彼の姿に焦った少年が叫ぶと、彼は顔を庇う
ような奇妙な体勢をとりました。

同時に少年の脳裏に激しい風のイメージが浮かびました。

彼の構えが何を意味するかに気付いた少年は、急いで同じように顔を庇って地面
に伏せます。

さわさわと軽く前髪を揺らす程度だった風が、少年が身構えてから少しの間も置
かずに彼が現れたときと同じような暴風へと変貌しました。

暴風は樹の枝葉と少年の衣服の上を激しく執拗になぶりつけます。

樹は大きくうねり、獣のように一通り暴れまわりましたが、しばらくもしないう
ちに動きは緩やかになり、落ち着きを取り戻しました。

風が一段落したところで、少年は顔をあげました。

「おい、さっきの説明ちゃんと…!」

文句を言おうと勢い込んだ少年は、途中で口を噤みました。



樹の上にいたはずの彼の姿はどこにも見当たりませんでした。











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