04.春風







04 春風




>>My dear


「ずっとさ、好きだったんだ」

赤毛の少年は金髪の少女に背を向けました。

くたびれた帽子のつばを目元まで引き下げながらゆっくりと呟きます。

風に舞う流れるような金髪を柔らかな動作で抑えた少女は、数瞬返答に迷い戸惑
ったように視線を逸らしました。

「……ごめんなさい」

さわさわと、公園の中で一番大きな一本の樹が二人の後ろで暖かい春の風の旋律
を奏でていました。

少女の返答と口調から、少年にはこのあとにくるであろう言い訳にだいたいの予
想がつきました。

「わたしね、好きな人がいるの」

少年は落胆を隠すように背を向けたまま、しばらくじっと黙っていました。

深い沈黙を見守るように、樹は木の葉を優しく揺らしています。

やがて少年は決心したように勢いよく振り向くと、笑って言いました。

「いいよ、俺、あきらめない」

予想外の明るい宣言に、嫌われると思い俯いていた少女は思わず顔をあげました。

同時にばっちり少年と目があってしまい、少女は気恥ずかしさに耐え切れず視線
を膝に引き戻します。

少年も、夕焼けの中でもはっきり分かるほど頬を真っ赤に紅潮させると、急いで
視線を少女から剥がしました。

赤毛の少年は真っ赤な空を見上げて、微かな期待と不安を込めた小さな声で少女
にたずねます。

「…またここに、会いに来てもいい?」

言葉が見つからなくてしばらく躊躇した後、少女はこっくりと頷きました。

それを見た少年は満面の笑みを浮かべます。

「それじゃ!」

くたびれた帽子が風で飛ばされないように、片手で押さえながら少年は走り出し
ました。

ひらりと身軽に公園と道とを隔てるレンガ塀を飛び越え、全速力で走っていきま
す。

街の外れの高台にある公園から街へと続く、オレンジ色に照らされた階段を少年
は駆け降りていきます。

その小さくなる後ろ姿を、少女は黙って見送っていました。



『君の好きな人って誰なんだい?』



唐突に掛けられた声に、少女は自分以外誰もいなくなったはずの公園をゆっくり
と振り返りました。

背後の、周りより一際大きい広葉樹の枝の上に、いつの間にか白い服の少年が座
っています。

僅かに色素の薄い緑色の髪は夕陽に当たって輝き、柔らかな輪郭を描く彼の頬に
淡い陰影を落としていました。

しかし確かに存在するはずの彼の全身はうっすらと半透明でした。

少し線の細い、しかし均整のとれた少年らしい背中からは、色硝子越しのように
後ろの葉っぱや座っている枝が透けて見えていました。

豊かな緑をたたえた樹は彼を乗せて、歌うように梢を風に揺らします。

「……からかわないで」

少女は不服そうに口を尖らせました。

白い服の少年は彼女に向けて少しだけ寂しげに微笑んで、ふわりと空気に溶ける
ように少女の視界から掻き消えました。

少女は、今度こそ誰もいなくなった公園を、主にさっきまで白い服の少年がいた
樹の上を名残惜しそうに見つめていました。

暖かな春の夕陽と、照らされて橙と金に染まった木の葉がとても美しい日でした。







>>Telling


『僕はあの娘が大好きなんだ。大切だから、哀しませたくない』

公園の中心にある大きな樹の上で、傷ついた小鳥は白い服の少年に撫でられなが
ら彼の話に耳を傾けていました。

彼の手のひらから沸き出るように現れた輝く金色の粒子が、ケガを負った翼のま
わりに集束し温かい明滅を繰り返しています。

『あの娘を僕に託して亡くなったお母さんは、僕の異常に気付いてたみたいだけ
ど』

小鳥は瞬きをして、あっと言う間に塞がった傷を確認するように翼を動かしまし
た。

確認した結果に満足したのか、小鳥は嬉しそうに鳴いて身体を手のひらに擦り寄
せようとしました。

そして、助けてくれた彼の姿が実体を伴っていないことに気が付きます。

小鳥は首を傾げて、困ったように頭上にある彼の顔を仰ぎました。

彼は優しく微笑んで、小鳥を撫でる"振り"を止めました。

『いいんだよ。たとえ君のケガを治さなくても、僕にはもう自分の病気を治せる
ほどの力は残っていないんだから』

小鳥は円らな瞳でまだ彼を伺っています。

彼はそんな小鳥の仕草に、ただ笑みを深めました。

『ただの強がりなんだ。病気で弱った幹は、もうどうしようもないほどぼろぼろ
なのに、醜い姿をさらしてあの娘を心配させたくないから隠しているだけ』

彼は自分の座っている枝に指を滑らせました。

指が触れた部分の木肌が、みるみるうちに暖かい茶色からひび割れた灰色に変色
していきます。

小鳥は急に変色した足元に驚いて、彼の目線に近い瑞々しい若枝に慌てて飛び移
りました。

彼は小鳥の反応を見ておかしそうに笑い、もう一度同じ場所をなぞりました。

木肌は何ごともなかったかのように美しい茶色に戻っていました。

『きっと僕が実体を失ったのも、無理をして病気を隠し続けようとした代償なん
だろうね』

仕方がないと言った風に彼は肩をすくめました。

小鳥は過剰に驚いてしまったことに後悔しているのか、申し訳なさそうにうなだ
れました。

陽光に輝く偽物の緑葉が、風に吹かれて軽やかな音をたてます。

『…もし君が少しでも僕のことを思ってくれているのなら、君にケガをさせた子
を許してあげてくれないかな』

彼は遠い目で眩しいくらいの晴天を見上げました。

樹の下の、色紙をちりばめたような満開の花々に囲まれた公園では、小鳥に石を
投げつけた子どもたちが金髪の少女に怒られています。

『世の中には良い人間だってたくさんいるんだよ』

小鳥は彼の言葉に釣られるように少女を眺めました。

少女が、春に満ち溢れた公園の中でもずっと一年中変わらない、濃い緑を湛え続
ける彼の樹を仰ぎました。

説教された子どもたちはしぶしぶと消沈した様子で散らばっていきます。

小鳥は少女を観察しているうちに、彼女の視線が白い服の少年に向けられている
ことに気付きました。

『止まり木にしかなれなくてごめんね。偽物でも花と実をつけないのは僕の勝手
なんだ』

小鳥は自分を気遣う言葉に、慌ててふるふると首を横に振りました。

自分の気持ちを伝えたくて再び彼を伺っていると、彼はわかってるよと囁いて、

『優しいね。ありがとう』

先ほどより少し寂しげに見える微笑を浮かべました。

『例え代償を払った嘘でも、いつまでもばれないなんて思ってない。でも、打ち
明けるのがちょっと遅すぎたかな』

少女の視線に気付いているのかいないのか、彼は暖かい日差しにうんと伸びをし
ました。

風に揺れる枝葉の隙間を縫うように潜ってたどり着いた光が、時々彼に降り注ぎ
ます。

その度に彼の半透明の姿はさらに色を失って霞んだように見えました。

『あの娘は小さい頃にお母さんを病気で亡くしてね、親戚もいなくて、頼れるの
は僕しかいなかった。これ以上寂しい思いはさせたくないんだけど…』

小鳥はそんな彼と、にこやかに彼を見上げる少女を心配そうに交互に見やります。

『……ちゃんと僕がいなくなるってことを理解させなきゃいけないんだろうね』

彼は深くため息をつきました。

『さあ、もう行きな』

優しいながら有無を言わさない彼の出発の促しは、先ほどの表情を見た小鳥にと
っては素直に頷けるものでした。

彼を心配するようにじっと瞳を見つめた後、小鳥は治ったばかりの翼を大きく羽
ばたかせます。

小鳥は抜けるように清々しい蒼天へと帰っていきました。



**



「あの子の傷を治してあげたの?」

飛び立った小さな影を見送りながら、少女は驚いたように頭上にいる白い服の少
年に尋ねました。

『君にも感謝していたよ』

彼は少女が不満そうな顔をしたのを見逃さずに先手を打ちました。

怒ろうとした矢先に感謝された少女は、何も言えずに唇を噛んで俯きます。

「でも…あなたは」

『僕は目の前にいる傷ついた小鳥を癒すことが出来た。だから、自分のためだけ
に小鳥を見捨てたりなんてしないよ』

彼は諭すように言いましたが、本当は少女が心配しているだけだということに気
付いていました。

少女は軽く首を振り、そうだよねと努めて明るい声を出しました。

「ごめんね。でも、無理して欲しくなかったの」

彼の幹に小さな指が優しく添えられます。

幹はひんやりと湿った感触を指に伝えました。

「…病気、早くよくなってね」

少女は恥ずかしげに頬を染めて、彼に綺麗に笑いかけました。

彼はいつもと同じ微笑みで少女を見守っていました。

風が二人の間を緩慢に流れていきました。

『君は』

彼はひどく優しく呟きました。

『…もう、ここに来ない方がいい』

自分の放った言葉が少女に与える苦しみを理解したうえで呟きました。

少女の表情がゆっくりと固まります。

「……いきなりどうしたの?」

しばらく呆然とした後、少女は今更ながら動揺を隠そうと慌てて笑顔を作りまし
た。

そんな少女を彼は悲しげに見つめます。

「あっ、それよりね、私今日いいもの持ってきたんだ」

焦りを紛らわそうとしたのか、少女は紙袋を取り出しました。

「ほら、前にも話したでしょ?炭でできた新しい軟膏とか、肥料とか」

一生懸命説明する声は、彼の口から突き付けられる真実を遮ろうとしているよう
に聞こえました。

彼はゆっくりと少女の名を呼びました。

少女はびくりと肩を震わせ、胸に抱いた紙袋を守るようにぎゅっと抱き締めまし
た。

しかし少女はなおも懸命に顔を上げます。

「ねえ、弱気になっちゃダメだよ。絶対治るよ!私も頑張るし、信じたら絶対、」

『僕は枯れる』

彼は容赦なく少女の淡い希望を打ち砕いていきます。

少女の笑みも、次第に剥がれ落ちていきます。

『それはもう変わらないんだ』

笑顔を模した仮面から、一滴の涙が滑り落ちました。

彼はそれを、顔を背けずに静かに見つめていました。

「……嘘。そんなわけないじゃない」

口調だけは明るく、しかし次々と涙は溢れていきます。

「そんなわけないよね、冗談、だよね…!」

少女の震える声と縋るような視線に耐えながら、彼は何も言わずに首を横に振り
ました。

少女の顔がくしゃりと歪みました。

「わかりたく…ないよ」

芳しい風がふわりと涙に濡れる少女を包みます。

彼は樹からするりと降りて、少女の前に立ちました。

そして泣きじゃくる少女の頭を撫でようと手を伸ばし、…思い通りにならない身
体に唇を噛みました。

中途半端に差し出されたままの透き通った手は、微かに震えています。

少女の頭越しに赤毛の少年がやってくるのが見えました。

彼は精一杯微笑みました。

『泣きやんで。あの子が来たよ』

少女は流れる涙はそのままに、恐る恐る顔をあげます。

目の前にいる愛しい彼を通した向こう側に、生気を失った灰色の樹が見えました。

彼は悲しげに微笑んでいました。

その姿は徐々に薄れていきます。

「嫌…」

少女は激しく頭を振りました。

『君はもう、僕に会わない方がいい』

「嫌だよ…!」

彼は消えてしまう最後まで笑ったままでした。

少女の叫びは届きません。

甘い芳しさは新しく吹いた風に、あっという間に散っていきました。



**



泣いている少女を見つけて慌てた赤毛の少年が、彼女の手を引いて公園から遠ざ
かっていきます。

白い服の少年はそれを樹の枝に座って見ていました。

春陽は平等に、暖かい光で三人を包みます。

『悲しいんだ。必死に僕を信じようとする君の姿をみてるのが』

白い服の少年は誰にというわけでもなく呟き、自分の手を見つめました。

少女に触れようと差し出したこの手は、小鳥のときと同じく何も掴めませんでし
た。

彼は力なく幹に身を預けます。

『人っていうのは不思議だね。大した力もないのに、何かを諦めたくないときは
どこまでも必死になる』

彼らと過ごした時間は、緩やかに生きてきた僕たちにとってとても刺激が強すぎ
るもので。

だから、彼らが街を開発するという名目で仲間の樹を切り倒していくのを見て、
仕方ないと思った。他の樹も、それを受け入れた。

僕らは、樹は、動けない。

環境の変化に対応していくだけ。

『街を作るために僕の仲間を全て切り倒した人間を、恨んだりはしていないよ』

愚かな部分も含めてそれでも人は愛しいから。

公園の景観のためだけに、たった一本残された樹に宿る精霊のことをを知る者は、
あの娘を除いてもう他に誰もいない。

だから枯れることに未練はない。けれど。

『叶うことなら、あの娘も僕のことを知らなければよかったのに』

誰にも理解されることのない悲しさを背負わせたくはなかった。

小鳥が飛び立った、吸い込まれるような青天を見上げたまま、ただ意味もなく呟
きました。






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